①「ルール」とは、元々「自然界のあらゆる物事の因果関係=自然の原理」を整理した物の事を言っていました。
自然の中から 「ルール」が観察され、一般論として引っ張り出され、理解され・・・
人はそれらを 物理学や化学、数学として整理していきました。
そしてこれらのルールは私たちが生きる全世界を支配するだけ無く、世界を作り出して、世界が廻っていけるように作用しています。
②生き物同士の相互関係は「自然の現象」によるルールに従っていきます。羊は芝生を食べ、狼に食べられ・・・逃げ足の速い羊だけが狼から逃れることが出来る・・・
こういった自然界のルールは容赦なく厳しいけれど、いつも誰に対しても公平であることは間違いないでしょう。
そして、柔軟性をもって自動的に調整をして、自然界のバランスを守っています。地球の自然のシステムは この自然界の現象によるルールによって、バランスが保たれています。
③「人間」は大昔から 「自然の現象」によるルールから逃れるために、環境を「自分たちに」合わせてきました。
例えば、屋根を作って、雨水から身を守ったり、銃を使って強い動物からの危害を回避したり、また飛行機を使って重力や実際の距離に挑戦したり・・・。とにかく、自然界のルールに逆らってきました。
政府の法律などは、自然界のルールのかわりに、人間同士だけのルールとなりました。
これらのルールの目的は、「悪い習慣」からコミュニティを守ること、また安全性を高め、さらには発展していくことです。
ですが、不思議なことに、現在「ルール」と聞くと、「自分を守るためのもの」というよりは「禁止されること」=「自由を奪うもの・束縛するもの」と感じる概念の方が大きくなってきているようです。
でも、私たち「人間が作ってきたルール」が無かったとしたら、(過激に言ってしまうと)弱い人間は強い人間の都合に合わせて従っていかないといけなくなります。

これだと「自然の現象によるルール」と同じになってしまいますね。
私たち人間が作り出すルールで「良いルール」とは「自然の現象による」基本的なコンセプトに基づいたものです。
例えば・・・
●まずなんといってもルールには「目的」が無いといけない。
この「目的」のためにお互いがいいバランスをとらなくてはいけない。
●その環境に合わせて柔軟に変化できるものでなくてはいけない
●賞賛や罰などによって、そのルールの価値を認められていなければいけない
●ルールを「破ったとき」のことよりも、ルール違反を「いかに防ぐか」という点を重視しなければいけない
●そのコミュニティの規模や環境に合わせたものでなくてはいけない
●結局 エコシステムのバランスをとることが目的で無ければいけない
そして・・・
●全ての人にとって平等でなくてはいけない
ルールは、社会の秩序を守るのにとても重要な役割を果たします。それがもし「良いルール」なら「良い習慣」をもたらしてくれるでしょう。ですが、残念なことに・・・時にルールは時が経つにつれて古くなり、逆にその社会の負担ともなりうるのです・・・
例えば以下の時など特にそうでしょう・・・。
▲その目的が分かりにくい、もしくは 目的自体がなくなってしまった場合
▲あまりにも一般論過ぎて、それぞれの条件や環境を無視している場合
▲それ自体の効力が弱すぎて、たとえ無視したとしても許されたり、かえって従わないほうが得をしてしまう場合
▲ルールの目的が「何かを防ぐこと」以上に「罰すること」に重点が置かれてしまうようになった場合
▲古くなりすぎて時代に合っていない場合
▲その場しのぎのもの、とりあえずのものであったり、目の前の目標のものであったりと、感情的過ぎるもの
▲誰か特定の人にだけ有利な場合
私たちはルールのおかげで、社会の基礎を作り、社会が成り立っていて、地球のバランスを保ってくれている・・・のだということを忘れてはいけません。